生きていることを受動的、生きることを能動的と捉えるとき、私の脳裏をよぎったのはニワトリの映像です。鶏舎で何百と飼われて、太陽に当たることも風を感じることもなく、動くこともままならず、食べる物も寝る時間も性もコントロールされて卵産みマシーンとなったようなニワトリの映像。そして我が家で飼っていた放し飼いのニワトリ、また、戸外を走るベトナムのニワトリの姿でした。
『受動性』と『能動性』。その両者がうまくつながる時期があるのかもしれません。子ども時代も含め、生まれてからその環境を受け入れ、違いを知るまでは「こんなものか」と全く疑問を持たずに受動的に生きています。このころは親や家庭内の価値観をたどる時期と重なります。やがて友人や先生などの社会と接し、それまでの価値観と照らし合わせるのです。その違いを認め、ひとたび何かに気づくと、人は理解したり選択したり能動的な行動に移ることができます。その『違いを知ること』には「教育」が関係しているのです。