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安全神話に守られて・・  どこまでが自己責任?

安全神話に守られて・・  どこまでが自己責任?

 昔から危険なものは生活の中にたくさんありました。包丁、裁ちバサミ、草刈鎌、鉈、斧、圧し切りなどは、本来の用途は便利な道具ですが、使い方を誤ると事故に繋がります。現在も、同様の危険なものはありますが、以前は、これらの危険に対する責任は自己責任でした。最近では、多くのものが社会的責任として扱われます。当然自分で責任を持たなければならないものまで責任を転嫁する風潮がありますが、それが多くの人に支持されているから面倒です。

 昔は、例えば熟れた柿の実を見つけると、通りがかりの子どもたちが柿の実を求めて木に登り、ぽっきりと枝が折れて怪我をすることがありました。そんなとき子どもたちは、当然自分の責任と考え、同時に柿の木は折れやすいことを経験的に学習しました。現在の子どもは、他家の柿の実を取ることなどもないでしょうが、同様の事故が起これば、「子どもが欲しがるような目に着く場所に果樹を植えるのが良くない」と言われかねません。今は、どこまでが自分の責任の範囲なのかがあいまいで、とても複雑です。

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