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海岸の砂より多い悪の種  悪の種は人がまく

海岸の砂より多い悪の種  悪の種は人がまく

 奈良・平安時代には、地震や洪水などの天変地異や伝染病などは神や人の祟りと恐れられていました。

 悪を人間の持つ本性として捉え、半ば諦め気味に受け入れていたのでしょう。世界の宗教の考え方はどうでしょうか。イスラム教では、悪は神の創造物の範疇にありません。地震などの天変地異は神の意志であり、人間に対する神の怒りとして受け入れます。ロシアの古代信仰とロシア正教では、有害なものは悪魔が創ったと考えます。一方で、神の創造物への尊敬は厳しい掟や正しい行いに結びつき、これを破ると飢饉や不作、死といった罪が課せられます。キリスト教にも源流として、このような罪と罰の教えがうかがわれます。

 現代では、災害は悪魔の仕業でもなく神の意志でもないことは子どもでも知っています。自然破壊や地球温暖化なども人為的な営みが招いたものだと科学的な説明もできるでしょう。けれども、分析はできても、その解決までは導けません。伝説の大泥棒、石川五右衛門の辞世の句「石川や 濱の真砂は尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」の域を出ていないのが現状のようです。

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