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科学や宗教、哲学を総合化したコラム 〜釈迦と菩薩〜

科学や宗教、哲学を総合化したコラム 〜釈迦と菩薩〜

 ものが壊れたり駄目になった時、「お釈迦になった」などと言うことがあります。この語源にはいくつかの説があります。

 一つは、お地蔵様の鋳物を作ってくれと依頼されたにもかかわらず、出来上がったものがお釈迦さま似の仏像であったために、役に立たず捨てるしかなかったことから、この言葉ができたというものです。また、鍛冶屋では微妙な火の加減が大事で、とりわけ、火が強すぎると鉄が駄目になってしまいます。「火が強かった」を東京の下町の言葉で言うと「しがつよかった」となり、「しがつよか」から「4月8日」を連想し、この日がお釈迦様の誕生日なので、火が強すぎて駄目になることを「お釈迦になる」と言いました。さらに、賭博で無一文になり、裸になると、薄い着物を貸りる習慣がありました。釈迦像は物欲を脱した表れで、薄い着物だけをまとっていることから、一文無しの駄目な状態になることを「お釈迦になる」と言うようになったという説もあります。けれども、いずれも今一つ、納得できる説ではありません。

 このような語源不明の言葉が和語にはたくさんあります。こうした意味不明の言葉の新しい解釈を自分なりに考えてみるのも楽しいですね。ところで、仏教では、釈迦は悟りを開いた如来のことで、真理を悟った天上人です。そして、真理を求め続ける求道者が菩薩とされています。私たちの研究や夢は、いつまでも持続可能です。真理を悟った「お釈迦」になることなく、むしろ、求め続ける菩薩を目指したいものです。 〜創設にあたって〜 〜眼に見えないものの科学〜 〜無財七施の教え〜 〜科学と宗教(無と空と無限)〜

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